世界一周旅日記 【オーストラリア】

イースター島の旅日記から間が随分空いてしまいましたが、久しぶりに旅日記を書ける喜びでいっぱい。

イースター島からニュージーランド経由で最後の国、オーストラリアに上陸しました。シドニーに到着。

オーストラリアはチリ以上に税関が厳しくて、フリーズドライのお味噌は没収の対象、モロッコで買ったスパイスも申告しなくてはならず、緊張しながら順番待ち。申請書をしっかりチェックされ、英語でスパイスについての質疑応答。最後に「日本人?」と聞かれて、「はい!」と答えると、「OK!」となんとバックを開けられずに入国できちゃいました。日本人ブランド恐るべし。

まずは、地球の歩き方を頼りに、観光ポイント、ルートを選定。作戦会議終了後、ランチをしにフィッシュマーケットを目指します。
到着して、あまりの中国人の多さにびっくりしました。ここは中国のマーケットなの?と錯覚してしまうほど、お店の人99.9%中国人、観光客9割中国人。注文は中国語が飛び交い、メニューも英語の下には全て中国語表記。不思議な光景でした。
私たちは、生牡蠣、海老、イカを食べましたが、彼らは倍量くらい注文していて豪快に食べていました。一体、いくら使っているの????
本当に中国人、圧倒的なパワーでした。
逆に私は、あまりの勢いにびっくりして、なんかシュンと小さくなってしまいました。


ものすごい活気があります。


生牡蠣はレモンをかけるだけ。シンプルだけど採れたては美味しい〜。

オーストラリアと中国の関係が気になって調べたところ、新首相が親中派であることが関わっていることもわかりました。
オーストラリアの4人に1人が移民で、その大部分を中国人が占めるそうです。中国票をどれだけ獲得できるかは、勝利の行方を大きく左右しますもんね。
経済面でも、最近、オーストラリアと中国が通貨スワップ協定を締結していたし、これから2国間のつながりは益々強くなっていきそうです。
これで、フィッシュマーケットの謎が解明。

シドニーでは、水族館とスカイタワーで観光もしっかり満喫。
水族館好きにはたまらないですよ。カモノハシもミニペンギンもサメも、何でもいます。水槽にへばりついて観察してしまいました。
スカイタワーは下は表参道ヒルズのような洗練された建物でした。シドニーの街を4Dの映像で紹介しているということで、体験し、(3D映像+風や水がかかってくるのですが、5分で終了です。)
その後250メートルの展望台で休憩。広いソファが心地よくて、気がついたら2時間ほど寝ていて、空が暗くなっていました。一体何しに来たのかしら・・・。

翌日は、郊外の動物園にコアラを見に行きました!
室内で飼いならされたコアラは何だかかわいそうだし、つまらないので、遠足気分で遠出してみました。
電車とバスを乗り継ぎ、本当に着くのだろうか?とドキドキしながら行くので、着いただけで嬉しいのですが、そこのコアラパークは、他の動物もたくさんいて大満足でした。

コアラやカンガルーと触れ合える時間もあり、忘れていたピュアな気持ちを思い出しました(笑)。


コアラ3兄弟!


お休み中。本当にかわいい。


おなかの中に赤ちゃんがいますよー。

本当は、もう一つのお目当てウォンバットを見たかったのですが、小屋でお昼寝中でその姿は最後まで拝めませんでした。
タスマニア物語を観た時から、ウォンバットの大ファンなのですが、私が想像していた小柄でかわいいイメージとはどうも本物は違うようで、動物園のボードに大きいものは全長30メートル、時速40キロの俊足と書かれていて、現実を見てショックを受けるよりはよかったのかなと思いました。

シドニーの街は、緑が多く、ハーブガーデンも開放されていて、とても気持ちがよい場所でした。
芝生でゴロゴロしたり、のんびり過ごしました。


ゴロゴロ中。

いよいよ目指すは、エアーズロック
アボリジニの人々の正式な呼び方はウルル。これからそう呼ぶことにします。


飛行機の中から、一目でウルルはわかりました。

平均気温42度。陽射しが痛いです。一気に真夏になりました。
キャンバスで書いたような青空の下に自分がいることに感動しました。


ここは風の谷。『風の谷のナウシカ』の参考にもなったと言われている場所です。
うなるような暑さの中、ここちよい風が吹いてました。


こちらは、カタジュタという、ウルルと並ぶもう一つの世界遺産
優しい形の岩肌をしていました。丸みを帯びていてかわいらしい印象でした。例えるなら女性。

いよいよ本命のウルルとご対面。


例えるなら男性。非常に力強い。
変化の多いこのご時勢で、ゆるぎないものを久しぶりに見たと思いました。

見るものを飽きさせない不思議な力。自然の作った芸術品です。
太陽の光の加減によって、色々な表情を見せてくれます。その姿にひきつけられるように、明け方、日中、夕焼けと何度も何度も足を運びました。
理由はよくわかりませんでしたが、心が見たいと言っていました。
そのくらい感動があったのです。
私たちは、アボリジニの聖地であるウルルには登りませんでした。
頂上は300メートル以上あり、東京タワーとほぼ同じ高さです。風が下の3〜4倍強く、途中で命を落とす人もいるので、
登山口には数カ国で書かれた注意を呼びかける看板がありました。


日本語もみつけました。

下から見上げるウルルは、岩肌を眺めるだけでもワクワクしましたが、その周りをゆっくりウォーキングするコースもあり、
楽しめます。アボリジニの人々がどのように文字を持たずに発展してきたか、その秘密を探りながらウォーキングをしました。
植物を通しても色々なことを教わりました。アロマセラピーの観点から非常に興味のある分野でした。彼らはユーカリの木の効能を自らの経験で学び、薬や虫除けとして使っていました。
生活の知恵とはすごいですね。

42度の中、太陽の恵みをたっぷり浴びて、キングス・キャニオンでの3時間ウォーク。
世界の中心で愛をさけぶ』が撮影された場所がどこかにあったのですが、暑さで脳があまり働かず、途中から探す気力がなくなりました(笑)。


怖くて下は見れません!でも、素晴らしい景色でした。

3日間滞在して、ウルルは何度も見たのに、帰国の途につく最終日の早朝も、やはり私たちはウルルの前にいました。
楽しい時間もあっという間。
たくさんの感動と元気をもらい、日本に戻ります。


この雄大な姿、忘れません!


こんなきれいな空と雲に見送られて、幸せでした(^^)。

いざ、日本へ。
39日の思い出と共に、オーストラリアを後にしました。

世界一周旅日記 【ボリビア編】

ペルーからボリビアに移動する時に、ペルー在住のスペイン語が話せるひろこちゃんと合流し、旅の仲間が増えて賑やかになりました。
4人で目指すのはウユニ塩湖!
ラパスで1泊して、翌朝いよいよ出発。

しかし、車で11時間と、とにかく遠く、そして標高がまたもや高い場所に突入しなければならず、高山病が再び頭をよぎりました。
このウユニ塩湖があるのは、標高4000メートル。未知の領域です。

酸素不足にならないように、控えめに昼食をとりました。
そこのレストランでドリフのようなコントがやっていて、つぼにハマってしまい、全員集中して見ていました。

ランチ後、前日の大雨で道が悪く、途中から4駆ではないと走行が難しいとくことになり、ホテルの方が別の車で迎えにきてくれました。
車を乗り換えて何分か走った後、旦那が目薬をさせるように車を止めてくれた瞬間、ドリフトして左後ろのタイヤがコロコロ転がっていくではないですか。一瞬目を疑い、状況を飲み込むのに時間がかかりましたが、脱輪したのです。

みんな、コントの続きかと思って笑いをこらえるのに必死でした。
冷静に考えると事態は深刻だったのかもしれませんが、私たち4人は、誰一人悲観していませんでした。
楽観主義な人の集まりでよかった!


こっそり撮影。

この後、更に不思議なことが起こります。

車も人の通りもほとんどない道でしたが、5分もしないうちに赤い4駆が通りかかり、異変に気づいて止まってくれました。
中から、ガイドさんと日本人男性1名が降りてきて、脱輪した部分を見て「この車は危ないから止めた方がいいよ。」と言うのです。専門的な用語もたくさん出てきました。一目みただけなのになんでそんなことがわかるのだろうと思ったくらいです。

でも、謎はすぐ解けました。
「私は、タイでこういう(車)関係の仕事をしています。だからわかります。この車はとても危険な状態でここまで走り続けていて、いつ脱輪してもおかしくなかったですよ。」と言われました。
更に、「もしかしてここまでくる前にも何度か脱輪していたのでは?」と耳元で言われました。そいうえば、最初に会ったとき、彼は泥まみれの状態だったので、少し奇妙な感じがしました。
実は、自己紹介をしてくれたときに、道中タイヤを交換してきましたと言っていたのをちゃんと聞いていた人がいたのです。
全て彼の言っていることがあたっていました。
なんというタイミングでこの人は現れたのだろうと、ちょっと鳥肌が立ちました。

そして車には私たち4人がちょうど座れるスペースがあり、行き先も同じホテルだったため、ほぼ予定通りに目的地に到着したのでした。
このタイ在住の日本人に助けられたのです。不思議なご縁でした。
さすがに、荷物を載せるスペースはなかったので、荷物とは翌日戻るラパスまでお預けとなりました。
砂漠と思えば、屋根つきの部屋で眠れるし、それだけで十分でした。

ホテルは、塩のホテルで、壁も床も一面塩だらけです。

インテリアがとてもオシャレな館内。

夜、高山病が突然襲ってきました。ひどい頭痛とお腹の調子が悪いのと、気持ちの悪さに悩まされ、血の気が一気に引きました。
夕食を皆でとろうと頑張って席についたものの、会話する元気がなく自分の体の中が格闘しているのを感じました。
温かいスープを無理やり飲んで酸素を使わないように大人しく省エネに勤めていたところ、体が温まったせいか、突然頭痛も消えて治ったのがわかりました。
一気に事態は好転。人体って不思議・・・。

翌朝、早朝にウユニ塩湖の朝日を見に出発!

雲の切れ間から朝日がのぞいています。雲がもう少し少なくなると、日中幻想的な光景が見られるので、祈るような気持ちで見ていました。

願いはかなって、日中ウユニ塩湖でこの世とは思えない光景を見ることができました。
雨季で条件が揃わないと見れないのです。
前日までに雨が降って水が張り、風がなく、青空が見える程度に雲がかかっていて、太陽が出ていると、反射して非常に美しい世界が見れます。
数日間ずっと見れなかったと説明を聞いたので、本当にラッキーとしかいいようがありませんでした。

では、ここからはそのウユニ塩湖で撮った写真のご紹介。


360度見渡す限り同じ世界。


3人ともジャンプに成功!


美しい六角形を描きました!


旦那さん食べちゃいました。


プリングルス探検隊!

ウユニ塩湖は、ボリビアの発展のために、塩の湖の下に眠るリチウムを掘り起こすという計画もあり、世界遺産に登録されていないそうです。
この美しい景色を守りたいなと強く思いました。

ウユニ塩湖を満喫し、翌日ボリビアのラパスに戻りました。
荷物とも無事ご対面!
ペルーとボリビアで縁起物とされているエケコさんにも出会えました。

 
これは、お店に置いてあったエケコさん。商売繁盛に欠かせません。
火曜・金曜に煙草を吸わせるのです。願いごとが叶うとか!


これは、ミニエケコさん。
エケコさんは、プレゼントされた方がご利益があると聞き、みんなで旅の記念にプレゼントし合いました。
S o cute!!
我が家の新しいアイドルになりそうです。

世界一周旅日記 【イースター島】

ペルーに戻り、2人と別れを告げ、イースター島にわたりました。
目的は、世界遺産のモアイ!
日本からの直行便もないので、神秘に包まれたイメージが強く、思い浮かぶのはモアイの宇宙人説とかミステリアスなことばかり。実際はどんなところなんろう?と、今回の訪問で一番予想がつかない場所でした。

まず、イースター島がチリ領だということを学び、そしてリゾート地ということを知り驚く私たち。
私たちはモアイの謎解きをしていくのを楽しみに上陸したけど、他の国の観光客は、そこまでモアイのイメージが強いのではなく、海!バカンス!!といったイメージが強いそうです。
チリ付近の海は冷たくて海水浴には適していないということもあり、南米の方の憩いの場でもあるみたいです。

まず、小さなかわいい空港に到着。


機内を降りると湿った温かい空気を感じて、ハワイ島によく似た気候と景色がありました。
しかし、空港では厳重な荷物チェックが待っていました。
食品・植物の規制が特に厳しいのですが、その理由は他の外来種を増やさず、生態系を変えないためだということがわかり納得。

バゲッジクレーンには訓練犬も登場して、内心冷や冷や。
入国審査がここまで厳しい国がなかったので、持っているスパイスが没収されないかドキドキしながら、荷物が出るのも待ちました。

無事受け取って、最後の関門も突破して、いよいよホテルへ向かう。
しかし、到着したホテルはなぜか違うホテル。
改めてお迎えが来る間、待ちぼうけになるわけですが、そこでピースボードタヒチ経由でオプションの旅をしている日本人ご一行様との出会いがありました。
このオプションの旅だけで50万はするなど、色々ピースボードのことを教えてもらったり、情報交換ができました。

そうこうしていると、お迎えがきて、時間がもったいないからそのままツアーに参加することにしました。

ここからは、モアイを続けてご紹介。

モアイは、宇宙人でもなくご先祖様でした。6世紀頃から部族毎に造られています。
初期のものは、2メートルくらいですが、権力を示すためにどんどん大きくなっていったのだとか。
最後は、20メートル以上のものも造っています。でも、さすがに、これは運ぶためではなくディスプレイ用としてでした。
「アフ」という祭壇の上に、海に背を向けて島を守るように建っています。
目が入るとマナが宿ると言われていました。昔は全部目がはめられていたのだそうです。


日本の建設会社タダノがクレーンで起こしたので有名なモアイ15体。


ちょっと増えて17体・・・。


寝てるモアイ。


正座しているモアイ。親近感わきました。


モアイ畑。顔がにょきにょき生えてます。モアイ製作工場です。


凛々しいモアイ。


「プカウ」という、赤い帽子のようなものを被っているモアイ。
赤いのは、昔の偉い人が髪を上に結っていってその色が赤かったため。高貴な人の象徴。


リゾートモアイですよ!こんな光景想像していなかった!


周りはビーチリゾートです!


イースター島は、ゆったりとした時間が流れていて、あまり観光地化されていなくてのんびり過ごせます。
ホテルからすぐ海が見渡せたので、日記を書いたり、海風にあたりながら気持ちのよい時間を過ごしました。

物価は非常に高いのだけが難点ですが、島まで船で物を運ぶわけですからそれはしょうがないですね。
ガイドさんがイースター島在住7年の日本人の方で、モアイのことや、島のことを色々教えてくれました。
昔の人が、新しい島を発見する方法とか、本当にマニアックなお話が聞けて楽しかったです。

そして、日本を離れて暮らすと、日本のよいところが改めてわかるということも言っていました。
後世まで日本の初期の文化遺産を守ることができたのは、幕末に鎖国を徹底的に行ったからだということを聞き、
そいういう観点で捉えていなかったので、非常に興味深かったです。
また、その時代の宗教の話もしました。日本に宣教師が来日したときに、スペインなどに占領されたことのある国と比較して、同じように国がキリスト教一色にならなかったのも、
幕府の動きのほかに、民衆の学問レベルが非常に高く、宣教師だけではどうにもできなかったという時代背景もあったそうです。
本国の官僚に、日本人は質問レベルが高く自分達だけでは太刀打ちできないという、援助を求めた文書が残っているのは興味深いです。
各地に寺子屋という制度があり、学問を勉強していたので、各地で容易に受け入れられなかったのですね。
ペルーのクスコでは、インカ帝国の建物が破壊されて土台を残してその上にカトリックの聖堂を建ててしまったため、当時の姿は残っていません。
民衆に一気に普及させ、国力を示すためにクスコ市内に一気に14個の聖堂を建ててしまい、インカ時代の建築物が数えるくらいしか残っていませんでした。
そうすると、街の雰囲気も大きく変わってしまいます。今でもほとんどの方がカトリック教徒だというお話も伺いました。
でも、それが良い悪いという問題ではないと思いました。
現に、今信仰があるおかげで彼らは心の平安があるのですから。

当時の日本人が、京都や奈良などの日本の文化遺産をそのままの形で守るという功績をしっかり果たしたのだと思うと、感謝の気持ちがわきました。
戦争を経てもなお残っているのも有難いことですね。

モアイは、島が食糧危機になると、部族間の争いでモアイ倒し戦争が始まります。
19世紀まで建っていたことが確認されていますが、今現在見られるモアイは、復元で倒れていたものを起こしたものです。
モアイは、結構最近まであったのですね!


イースター島は、治安もよく安心して過ごせる島でした。

次は、いよいよ最後の目的地、オーストラリアです。

世界一周旅日記 【ペルー編】

ロッコからスペイン経由で南米ペルーに入ります。
ペルーでの目的は2つ。ナスカの地上絵とマチュピチュ遺跡。

リマから車を飛ばして、まずイカの街へ。
ナスカの地上絵を見学。

この小さなセスナ機に乗って、上空から地上絵を見ます。
風の影響を受けて、びっくりするくらい上下左右に揺れましたが、私は乗り切れました。ただ、乗り物酔いされる方には、お勧めできません。隣の旦那さんは顔面蒼白でずっと袋を握り締めていました。かなり辛そうでした。

目的の地上絵が30分後に見え始めます。紛らわしい線がたくさんあるので、みつけるのにだいぶ苦労しましたが、こつがつかめると10個全部肉眼で確認できます。

本当に不思議です。
誰がこんな絵を描こうと思ったのだろう。
くじら、宇宙人、コンドル、はちどり、さる、りす・・・など、一筆書きで見事に描かれています。


これは何かわかりますか?かなりわかりづらいのですが、真ん中やや下に描かれています。
正解は、コンドル。

そして地上に戻り、腹ごしらえ。


左側はインカコーラ。黄色いカキ氷のシロップのような味がします。
右側は紫色のとうもろこしをレモンと煮て使ったジュース、チチェモラーダ。これは気に入りました!
スムージのようにして飲んでみました。


セビッチェというマスなどの魚と野菜をマリネしたもの。
さっぱりとして、とても美味しいです。

昼食を終え、近くの砂漠でバギーに乗ることにしました。
ダカール・ラリーの会場としても有名な砂漠で、猛スピードで砂丘のアップダウンを駆け抜けてもらうのですが、新感覚アトラクションといった感じです。久しぶりに絶叫マシーンに乗りました。
途中、サンドスキーとボディボードに挑戦。直滑降に降りていくボディボードはスリル満点で面白かったです。


一緒に遊んだ仲間たちと夕日をバックに1枚!

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バギーが猛スピードで砂漠を駆け抜けていきます。

翌日、リマ空港で後輩と合流して、クスコの街に移動。
一気に標高3000mの地に突入。酸素が薄い!
前日からダイアモックスという血管を拡張させる薬を飲んで高山病対策をしていても効いているのか全くわからないといった感じです。

頭がボーっとします。
酸素を使うことを極力避けるということで、アドバイスをもらい、みんなで実践。
・アルコールはできるだけ避ける。
・消化に時間がかかる肉類は食べない。
・激しい運動はしない
・熱いシャワーは避ける

そしてコカの葉が高山病対策によいということで、大量に飲みました。
日本に持って帰ったらだめだよ!とちゃんと注意してくれました。


味は、ちょっと癖のある緑茶。砂糖を入れて甘くして飲むのが現地流。

クスコの街は、一番高いところで富士山の頂上と同じくらいあります。
色々対策を練っても高山病はいつやってくるかわからないもので、酸素ボンベがホテルだけでなく、観光地や移動のバスの中にも常備されています。
記念にホテルで吸引体験をしてみました。気持ち楽になるような気がしますが、あまりよく違いがわからず終了。

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アルパカと少女に出会いました。かわいいですね♪

クスコの街から電車とバスを乗り継いで4時間ほどで次の目的地マチュピチュに到着。標高が2000メートルになり、少し楽になりました。


ここから遺跡まではバスで30分ほど。
雨季のマチュピチュは、遺跡に霧がかかったり、雲が現れたりして、神秘的な光景になると言われていますが、実際見て、本当にその通りだと思いました。
敵から身を守るために山頂に都市を築いたと説明を受けましたが、本当によくわざわざよく造ったなと感心してしまいました。
遺跡の中をゆっくり散策しながら説明を受け、3時間くらい滞在しました。
紙1枚入らない石の積み方に見とれてしまいました。


山に雲がかかってとても幻想的な雰囲気でした。

翌日は、マチュピチュの奥にそびえる聖なる山、ワイナピチュに1時間登山し山頂からマチュピチュを眺めました。
雲の間からきれいに見えた瞬間、疲れが吹っ飛びました。


こんな険しい道を登ります。
事故が多くて、今では1日10時と12時に各200人限定と、山に入れる人数制限ができていました。
近いうちに登れなくなるかもしれないとのことでしたので、興味がある方は早めに行って下さいね!


山道を頑張って登ると、素晴らしい景色がそこにはありました!少し雲がかかっています。


雲がなくなり、一気に晴れ渡りました。
一刻一刻姿を変えていくマチュピチュは美しかったです。

帰りは、また往路と同じ工程をたどるのですが、 PERU RAILは最後まで乗客を楽しませてくれました。
音楽の音量が上がったと同時に、アルパカ製品のファッションショータイムが始まりました。
乗務員さんが各車両毎にアルパカ製品を見にまとって、モデルさんのように登場します。


車内は大盛り上がり。そして、終了すると販売タイム。多くの方が喜んで買っていました。
車内もなぜか一気に冷えてきて、買いたくなってしまうという購買意欲を掻き立てる方法が上手。

日本から遠く離れたペルーで、おもてなしの心、接客について考えさせられたのでありました。
次に目指すは、ボリビアです。

世界一周旅日記 【モロッコ編】

スペインのマドリッドからモロッコカサブランカまで空路で45分。
まず目指すはワルザザードという街。
道中、雨から雪に変わり、夜の冷え込みはかなり体にこたえたが、ホテルの部屋に用意してもらったタジン鍋を食べて
何とか元気を取り戻しました。


これが本場のタジン鍋。中には、牛肉、野菜が入っていて、じっくり柔らかくなるまでスパイスで煮込んでいきます。
最後までずっと温かくて寒い冬にぴったりです。
円錐形の蓋のおかげで、具材から出た水蒸気を逃がさず蒸した状態をキープできるので、水をほとんど使わなくても調理できるすぐれもの。
水が貴重なモロッコならではの発想から生まれた鍋ですね。
ロッコにはベルベル人という先住民がいて、タジン鍋ベルベル人が作った料理なんだ!と誇らしげに教えてくれました。

ワルザザード、ここは観光と映画の街。
アラビアのロレンス」「スパイゲーム」「グラディエーター」も、この街を舞台に撮られた作品です。
街並みは全てオレンジとピンクを混ぜたような色の建物で統一されています。
カスバという要塞が今でも残り、ホテルとして改装されて使われているものが多かったです。
リヤドという邸宅を改装して作られた素敵なゲストハウスもあり、インテリアも凝っていて人気が高い。
静かで美しい街だ。
ロッコという国は、食文化も建築物もフランスの影響を受けていて、イスラム文化とうまく融合させていると感じた。


ここは、世界遺産に登録されているカスバ。「グラディエーター」の舞台にもなった場所。


宿泊先としても利用できるカスバ。

翌日、ワルザザードから、車で所要10時間という気が遠くなりそうなサハラ砂漠へ向かう。
砂漠まであと4時間くらいのところで、異変が・・・。

安全運転のガイドさんが、まさかの事故に遭遇。
人生どこで何が起こるかわかりません。
対向車線から飛び出してきたバイクと正面衝突。バイクに乗っていた少年は私たちの目の前で放りだされて一瞬視界から消えました。
全てがスローモーションのようでした。
もしや、車の下!!?と次の瞬間嫌な予感がしましたが、斜め前方にうずくまって倒れている少年の姿を確認することができ、最悪の状態は免れたと思いました。

少年はすぐ救急車で運ばれ、追って現場検証のため警察が到着。
民衆と警察に囲まれる中、私たちは車内で待機。ガイドさんは、急にパンをかじり始め、動揺が隠し切れない様子。
一生懸命に状況を説明していたけど、目撃者がいなかったので、車の方が不利な立場に立たされているようでした。
「僕の無実を証明できるのは君たちだけだから」と言われ、事情徴収のため警察署に同行することになりました。
数時間後、晴れて無実を証明でき、解放されて、ガイドさんと3人で再び砂漠へ目指すことに。

予定が大幅に遅れていましたが、旅には色々つきものだし、少年が命に別状がないことがわかり、それだけでハッピーな気分。ガイドさんとの絆も深まり、目指すはサハラ砂漠

砂漠の入口メルズーガに到着したのは夜の8時過ぎだった。
予定では、夕方らくだに乗ってオアシスの中のテントに行くとなっていました。
明かりもない真っ暗な中に車が止まり、その先にはらくだ2頭とらくだ使いの青年がいました。
予定通りらくだに乗れる!

荷物はラクダに負担になるということで、車に置いていくことになり、身一つで向かうことになりました。
必要なものは案外少ないものです。
この頃には身一つと言われても動じなくなっていました。

生憎のお天気でしたが、音一つない砂漠の中を、1時間ほどらくだに乗り、キャンプ場のあるオアシスに到着。
エジプトの砂漠と違って、ここは常設のテントが張られていて、暴風雨も避けられるようになっていてホッとしました。
その夜は、サハラでは珍しく大雨が降りました。


翌日の早朝。


砂漠の中に突如現れるオアシス。ここにキャンプ場があります。

ロッコの砂漠は、砂漠の入口にホテルがあり、キャンプ場のテントかホテルかツアー客が選べるので、
テント生活が厳しいという人でも安心して行けます!
でも、砂漠を思う存分味わうのは、やはりテントがお勧めです(^^)。

砂漠を出て、ワルザザードでゆっくり過ごしてから、最後の場所、マラケシュに行きました。
途中、雪のアトラス山脈を越えて、モロッコは表情が豊かな国で移動中も景色がどんどん変わるので、長時間ドライブも飽きません。

マラケシュの街といえば、市場!!
ここにきたらまず市場。

たまたま最初に寄った場所が、自然療法のお店ということで、目が輝いてしまい、お店の人に質問攻撃。
ハーブ、スパイス、精油、植物油が積んであり、どこから見ていいのかわからないくらいです。
ここで働きたいとい思ったくらい、置いてある一つ一つが興味深くて、使ってみたいと思いました。
ロッコには、イブン・シーナの『医学大全(カノン)』の教えをいまだに継承して行っている人が多いと伺い、
店内にも『医学大全』が置いてありました。
学校も多く、世界中から学びにやってくるとのことでした。
このように、モロッコで自然療法が発達したのも、医療費が高くて庶民は薬が買えないという事情がありました。

目についたのがアルガンオイル
効能を語りあって、やっぱり素晴らしいのだと実感しました。
その場で肩のマッサージをしてもらい、体感などを確かめました。
そして、スパイスの使い方で印象的だったのは、ブラッククミンで鼻の粘膜を掃除するという方法。
砂漠帰りだったので、砂で鼻の通りがよくなかったのですが、ブラッククミンを吸引したらクリアになりました。
知らないことだらけで、本当に勉強になりました。


カラフルな陳列にも心奪われました。

とにかく活気のある市場。
屋台も大繁盛。

右側はオリーブ売り場。すごい量です!!


日本の1/3の値段で買えるバブーシュ。どれも革職人さんの手作り。本当に欲しいものがたくさん!
でも、旅が続いて荷物が増やせないので、泣く泣く買い物は断念(><)。。
今度来たら、絶対買います!


自然療法のお店で買ったスパイスでモロッコを思い出してタジン鍋を再現してみました♪

ロッコはとても魅力的な国でした。食事も日本人の口に合います。
それから、モロッコのオレンジジュースは、どこでも絞りたてが飲めたのが印象的でした。
またゆっくり行きたいと思いました。

次に目指すは、南米ペルーです!

世界一周旅日記 【スペイン】

デイープなエジプトを脱出して、スペインマドリッドに到着。
ロッコへのフライトの乗り継ぎ地として1泊だけステイ。
そして、南米に行く経由地としても半日ステイ。

スペインは、マドリッド市内に限定して観光しました。
1泊ステイの時は、ガイドブックもないので、地下鉄の路線図を見て、日本と当てはめて、乗り継ぎが多い東京駅のような駅を探そうということになりました。この街が栄えていそうという旦那のするどい嗅覚を頼りにスタート。

地下鉄を降りた駅は、SOLという街。

地上に出ると、文明の香りがしました。
エジプトからやってくると、街がきれい!信号がある!車がクラクション鳴らさない!と、いちいち感動してしまいました。

そして、とても賑やかな場所で、観光地としても有名な場所でした。
見事ビンゴ!ここで降りて正解でした。

まずは、作戦会議!

充電しながらパソコンの使えるスタバで。
ドリンクなど何か買うと、45分だったかそのくらい使えるwi-fiのパスワードをくれます。
世界各国からの観光客も同じことを考えているようで、パソコンやガイドブックを広げたお客さんで溢れていました。
やっぱりスタバは落ち着く。
国が違っても勝手が一緒だからかな。


マイヨール広場。


スパイダーマンを発見。
空飛べるのかしら(笑)。

2度目の乗り継ぎのときは、空港のインフォメーションカウンターを発見して、パンフレットをもとに美術館へ向かいました!
マドリッド市内には、たくさん美術館がありますが、空港からわりと近くてお勧めなのは、アタチャーという駅にあるプラド美術館とソフィア王妃芸術センターの二つ。
大きな荷物も預かってくれるので、手ぶらで鑑賞できます。プラドは広いので3時間はほしいですね。
スペインを代表するルーベンスゴヤ、ベラスケス、エル・グリコなどの作品が見られます。

ソフィア美術館のコレクション数はブラドほどではありませんが、1時間半でちょっと足りなかったです。
ここで見たかったものは、なんといってもピカソゲルニカ
高校生のとき、文化祭で劇をして、ゲルニカの絵を拡大して全員で書いた思い出の絵。その原画が見れたのです!
壁一面のゲルニカは、黒、灰色、白のモノトーンの強いタッチで描かれていました。悲痛な叫びが聞こえてきそうでした。
平和を訴えるシンボルとなっていますが、ピカソはどんな心境でこの絵を描いたのかなと考えながら見ました。

スペインの美術館は、閉館時間が21時というものもあり、午後からでも行けるのが気に入りました。
それから、偶然訪れた日は、どちらも無料の日でした。拝観料無料という日があるようです。

スペインの食卓から。


やっぱりイベリコ豚は美味しい。
これと赤ワインだけで満足してしまいそうになってしまう。

本場のパエリア。量が多くて食べきれないと思いきや、ちゃんと胃の中に納まりました。


イカスミのパエリア。絶品♪


シーフードと鶏肉ミックスのパエリア♪

ほんのひと時でしたが、癒されました〜。
次の行き先は、モロッコです。

世界一周旅日記 【エジプト編】

イスタンブールからアンマン経由でエジプトにやってきました。
(トルコと同じ日にあげたから、ブログのアップする順番が逆になってしまいました。すみません(><)。)

エジプトと言ったら、まずは、ピラミッド!

ピラミッドは、想像以上に大きく、美しい形に見とれてしまいました。
一つ2.5トンもある巨大な石が積まれて造られています。


近くで見ると、こんな感じ。よくこの石を運んだなと感心してしまいます。


らくだに乗ってみました。


ピラミッドのすぐ向こう側にはギザの市街地が見えます。私は、ピラミッドは砂漠地帯の真ん中にあると思っていたので、
とても衝撃を受けました。
そして、遺跡を一歩でると、そこは古代エジプトから一気に現代にワープしたかのような、タイムゾーンを感じました。
観光地はきれいなイメージがあったのですが、ギザやオールドカイロの街は、もう少し清掃してほしいなと思ってしまうくらいの汚れ方でした。
こんな素敵な世界遺産があるのに、もったいないなというのが正直な感想。
交通事情も随分特殊です。
横断歩道がないので、無理やり車を止めて渡ったり、猛スピードで走る車の合間を器用に駆け抜けて渡る人の姿を何度も見ました。
車も車線がないようで、横から入ってきては、クラクションの鳴らし合い、四六時中ブーブー鳴っているので眠れません!
日中は、軍隊が信号機の代わりにを交通整備をしていて、かろうじて秩序が守られているといった感じです。

ここはアタバという服の市場。

かなり混沌としています。庶民のお買い物スポット。


エジプトの食卓から。
B級グルメに挑戦。
エジプトのファーストフードのコシャリ。
マカロニ、ライス、フライドオニオン、豆がベースで、トマトソースをかけ、チキンスープのようなだしを入れてふやかして食べます。
60円〜200円くらい。安くて庶民の味方。

バハレイヤというところから白砂漠に移動。
石灰でできた岩山がたくさんあって、雪のようにも見えます。
こういう砂漠もあるんですね。
今日のホテルはここですと言っておもむろに拠点を作りだした砂漠の民のガイドさん。
オープンエアかぁ・・・(笑)。

日が沈むと急激に温度が下がりますが、星空がきれいで一晩で7つくらい流れ星★見ましたよ。


白砂漠で迎えた朝日。
感動を全身で表現してみました。思わず踊っちゃった。


2011年1月25日、ちょうど一年前にクーデターがありました。
1周年ということもあり、大規模なデモを想定して、考古学博物館は閉館して見ることはできませんでした。
サダトの駅で現場に連れていってもらったら、デモが行われていました。
クーデターの影響で観光客は激減して、ガイドさんも、日本からのお客さんは半年ぶりとのこと。
ムバラク政権崩壊後、これからエジプトはどういう方向に進んでいくのだろう。
イスラム原理主義の穏健派が舵をとるのか、宗教と政治が密接に絡んでいるので複雑です。
公共事業にもっと投資できるようになって、国全体がきれになる日が楽しみだな。

エジプト、とってもディープな国でした。