世界一周旅日記 【イースター島】

ペルーに戻り、2人と別れを告げ、イースター島にわたりました。
目的は、世界遺産のモアイ!
日本からの直行便もないので、神秘に包まれたイメージが強く、思い浮かぶのはモアイの宇宙人説とかミステリアスなことばかり。実際はどんなところなんろう?と、今回の訪問で一番予想がつかない場所でした。

まず、イースター島がチリ領だということを学び、そしてリゾート地ということを知り驚く私たち。
私たちはモアイの謎解きをしていくのを楽しみに上陸したけど、他の国の観光客は、そこまでモアイのイメージが強いのではなく、海!バカンス!!といったイメージが強いそうです。
チリ付近の海は冷たくて海水浴には適していないということもあり、南米の方の憩いの場でもあるみたいです。

まず、小さなかわいい空港に到着。


機内を降りると湿った温かい空気を感じて、ハワイ島によく似た気候と景色がありました。
しかし、空港では厳重な荷物チェックが待っていました。
食品・植物の規制が特に厳しいのですが、その理由は他の外来種を増やさず、生態系を変えないためだということがわかり納得。

バゲッジクレーンには訓練犬も登場して、内心冷や冷や。
入国審査がここまで厳しい国がなかったので、持っているスパイスが没収されないかドキドキしながら、荷物が出るのも待ちました。

無事受け取って、最後の関門も突破して、いよいよホテルへ向かう。
しかし、到着したホテルはなぜか違うホテル。
改めてお迎えが来る間、待ちぼうけになるわけですが、そこでピースボードタヒチ経由でオプションの旅をしている日本人ご一行様との出会いがありました。
このオプションの旅だけで50万はするなど、色々ピースボードのことを教えてもらったり、情報交換ができました。

そうこうしていると、お迎えがきて、時間がもったいないからそのままツアーに参加することにしました。

ここからは、モアイを続けてご紹介。

モアイは、宇宙人でもなくご先祖様でした。6世紀頃から部族毎に造られています。
初期のものは、2メートルくらいですが、権力を示すためにどんどん大きくなっていったのだとか。
最後は、20メートル以上のものも造っています。でも、さすがに、これは運ぶためではなくディスプレイ用としてでした。
「アフ」という祭壇の上に、海に背を向けて島を守るように建っています。
目が入るとマナが宿ると言われていました。昔は全部目がはめられていたのだそうです。


日本の建設会社タダノがクレーンで起こしたので有名なモアイ15体。


ちょっと増えて17体・・・。


寝てるモアイ。


正座しているモアイ。親近感わきました。


モアイ畑。顔がにょきにょき生えてます。モアイ製作工場です。


凛々しいモアイ。


「プカウ」という、赤い帽子のようなものを被っているモアイ。
赤いのは、昔の偉い人が髪を上に結っていってその色が赤かったため。高貴な人の象徴。


リゾートモアイですよ!こんな光景想像していなかった!


周りはビーチリゾートです!


イースター島は、ゆったりとした時間が流れていて、あまり観光地化されていなくてのんびり過ごせます。
ホテルからすぐ海が見渡せたので、日記を書いたり、海風にあたりながら気持ちのよい時間を過ごしました。

物価は非常に高いのだけが難点ですが、島まで船で物を運ぶわけですからそれはしょうがないですね。
ガイドさんがイースター島在住7年の日本人の方で、モアイのことや、島のことを色々教えてくれました。
昔の人が、新しい島を発見する方法とか、本当にマニアックなお話が聞けて楽しかったです。

そして、日本を離れて暮らすと、日本のよいところが改めてわかるということも言っていました。
後世まで日本の初期の文化遺産を守ることができたのは、幕末に鎖国を徹底的に行ったからだということを聞き、
そいういう観点で捉えていなかったので、非常に興味深かったです。
また、その時代の宗教の話もしました。日本に宣教師が来日したときに、スペインなどに占領されたことのある国と比較して、同じように国がキリスト教一色にならなかったのも、
幕府の動きのほかに、民衆の学問レベルが非常に高く、宣教師だけではどうにもできなかったという時代背景もあったそうです。
本国の官僚に、日本人は質問レベルが高く自分達だけでは太刀打ちできないという、援助を求めた文書が残っているのは興味深いです。
各地に寺子屋という制度があり、学問を勉強していたので、各地で容易に受け入れられなかったのですね。
ペルーのクスコでは、インカ帝国の建物が破壊されて土台を残してその上にカトリックの聖堂を建ててしまったため、当時の姿は残っていません。
民衆に一気に普及させ、国力を示すためにクスコ市内に一気に14個の聖堂を建ててしまい、インカ時代の建築物が数えるくらいしか残っていませんでした。
そうすると、街の雰囲気も大きく変わってしまいます。今でもほとんどの方がカトリック教徒だというお話も伺いました。
でも、それが良い悪いという問題ではないと思いました。
現に、今信仰があるおかげで彼らは心の平安があるのですから。

当時の日本人が、京都や奈良などの日本の文化遺産をそのままの形で守るという功績をしっかり果たしたのだと思うと、感謝の気持ちがわきました。
戦争を経てもなお残っているのも有難いことですね。

モアイは、島が食糧危機になると、部族間の争いでモアイ倒し戦争が始まります。
19世紀まで建っていたことが確認されていますが、今現在見られるモアイは、復元で倒れていたものを起こしたものです。
モアイは、結構最近まであったのですね!


イースター島は、治安もよく安心して過ごせる島でした。

次は、いよいよ最後の目的地、オーストラリアです。